サッカー選手という肩書がなくなった時

サッカー
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皆さんこんにちは、nonです。

最近は旅という旅に出かけることが難しく、何を書こうかなと頭を悩ませている毎日です。いわゆるスランプですか…いや基本的に書くのも喋るのも苦手なので絶好調のときもあまりないのでスランプとは言えないですが。

YouTubeでは激辛焼きそばを食べたり、ゆるゆるのトークを繰り広げていますが、たまには真面目な感じの話もしたいなと思います。

ということで今回は、WordPressの色々な機能やメリットを完全に無視したnote風の語りブログとなっていますw

ここ最近、サッカー観戦をしたりDAZNやYouTube配信でサッカーの試合を見る機会が増えました。特に避けていたわけではないですが、現役を引退してからあまり試合を見ていなかったんです。

このブログでも度々お話ししていますが、私はサッカー選手を2度引退しています。(自慢ではないです)

1度目は23歳の時に浦和レッズレディースで、2度めは3年前にオルカ鴨川で(正確にはオーストラリアかな?)。

1度目の引退のときに強く感じたのは、私からサッカーを取ったら何が残るのだろう…という虚無感というか空虚感というか何とも表現しにくい気持ちです。

サッカー一筋で殆どの時間を費やしてきていたため、それがなくなった時に自分が何をやりたいのか全く分かりませんでした。まだ若かったというのもあると思いますが、自分が何をしたいのだろう、何が出来るのだろうと探すことは意外と難しく、アスリートというベールに包まれていた自分とそうでない本来の自分との狭間をさまよう感じです。

もちろんナチュラルに切り替えれるタイプの選手も多いと思います。でも当時の私はなんでも120%でやってしまうタイプでいわゆる0か100だったので、より苦戦しました。そこをうまくコントロールできていたらもう少し長く現役生活を続けられたのかなと思います。

私が競技を離れても様々なことに挑戦して発信し続ける理由の1つに、「競技を離れても自分らしく輝ける場所が必ず何処かにある」ということを自分自身で証明したいから。

そして最近では時代の流れとともに選手として活動しながら、2足3足の草鞋を履いて様々な方面で活躍している選手が増えてきていて、それぞれがありのままを表現しているように感じます。そのような活躍は私にとってもとても刺激になり励まされています。

サッカー選手を始め、アスリートは光の当たる場所。

時に孤独や挫折であったり、チームスポーツであっても自分との戦いでもありますがやはりそこはとても影響力のある光る場所だと思います。光を当ててくれる人がいて、舞台を作ったり演出してくれる人がいます。

また誰かを勇気づけたり、ハッピーにすることが出来るということはアスリートの最大の魅力の1つだと思います。

でも人生は長く、選手を終えた後の人生のほうが長かったりもします。目一杯選手生活を送って、そこから再スタートしても遅すぎることはないということを伝えていけたら嬉しいなと思います。

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